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ゲスト投稿参加者(2005年08月25日 18時53分54秒)
恋人を殺しながら、彼女の心も死んでいったのでしょう。何度でも矢を放ち、彼が苦しむ姿を瞳に焼き付けて、尚その手を止めることはできない。茨を巻き付けた弓を引けば、その手は棘で血にまみれるでしょう。その痛みすらも、心の痛みにはかなわない。
おそらく、それが彼を魔物にしてしまったことへの、彼女の責任の取り方だったのではないでしょうか。すさまじい絶望だと思います。
いっそ「あの時」自分が死んでいれば良かったと思ったかもしれません。愛しい人を殺すわたしは、人の道から奈落へと落ちる。
彼は魔物になってしまったから、輪廻を繰り返すことはもうない。
この世でも、あの世でも、もう二度と会うことはできない。
わたしは二度と救われることはない。(個人的に・・・)
この歌はすごく映像美に溢れていて、すべて理屈で分析してしまうにはもったいない気もするんですけどね(^^;
マジカルな映画で、描いた魔法陣が蒼い炎を噴いても、誰も不思議に思わないように。
ゲスト投稿参加者(2005年12月28日 14時24分28秒)
はじめまして、いままでの皆さんの意見を見てて少し気になった点があったのでこうして投稿してみました、気になった点とは件名にある『螺旋の焔』のところです、以前この『螺旋』からクロスボウを連想したとの意見がありましたが、ここでは『焔』に注目したいと思います、何が言いたいのかと言うと、この『焔』を最初にある『弾けた焔』と同じ物、つまり『矢』としてみるということです、こんなことを言うと皆さんは「『螺旋の矢』って何?」と思われるかもしれませんが、何人かに一人くらいは、「それをもってくるか」と思って頂けると思います、それだけでは分からないと思うのでもう少し詳しく言うと『矢』の形状が『螺旋』だということです、そんなものはないと思われることでしょう、実際『矢』ではなく『矢』として使っているというだけです、それは『FATE/STAY NIGHT』というPCゲームのキャラクターの一人、アーチャーというキャラクターが使う『カラドホルグ』のことです、この『カラドホルグ』とは本当は剣なのですが、アーチャーというキャラクターはその名のとおり弓兵ということもあり『矢』として使用しているのですが、その形状はまさに先に述べたように『螺旋の矢』なのです、それだけではなくその色も銀色に近い色合いです、この事から恋人が放つ『矢』とはこの『カラドホルグ』のような形状なのではないかと想像しています、『カラドホルグ』の画像は少し調べて頂けると見つかると思います、ここまで長々と言い続けていったい何が言いたいのか、それはここまで長々と言っている割にすごく単純な事なのですが、歌詞にある[歪む世界 螺旋の焔 輪廻を貫いて]この部分の解釈がしたかったのです『歪む世界』=『恋人が魔物になったことで正しい形で無くなった』=『彼と彼女の世界』『輪廻』=『魔物に傷を負わされた者はやがて同じ魔物になる』=『魔物になった恋人』『螺旋の焔』=『カラドホルグのような形状の矢』と解釈しまとめると[彼女は彼が魔物になったことで歪んだ世界で魔物になった彼を『カラドホルグ』のような形状の矢で貫いた]とこの部分を解釈しました、他にも『螺旋の焔』の解釈はありますが、ここまでにしておきます、長々と失礼しました、これからもたびたび失礼するかもしれませんがよろしくお願いします。
ゲスト投稿参加者(2005年08月21日 21時24分09秒)
『凛と白く~私を射ち落とす』
歌詞を素直に解釈して、男=魔物が死の寸前で、彼女に手渡された弓で彼女を撃った、とは考えられないだろうか?
情景を考えると「相打ち」、これはすごく相応しいエンドの仕方ではないか思ったので。ただひとつ矛盾がある。
この場合、男は「既に致命傷を負っているがギリギリ生き残っている」状況でなければならない。
つまり、女の放った矢は「魔物に対し当たれば絶対に倒せる」矢でなければならない。
そうでなければ女は、魔物を確実に仕留める、という自らに架した使命を果たせない可能性があるから。
裏を返せば歌詞の『何度でも、ただ彼が息絶えるまで』射ちまくる必要が無い。ただの一矢で魔物の滅びが決定し、尚且つ二本目の矢で彼女を射てもらえばいいのだから。
ここが男が最後に女を討つ説の矛盾ポイントである。
ゲスト投稿参加者(2005年05月07日 20時48分20秒)
Googleで「十字架 茨の冠」で検索をかけるとキリストの受難の引用に当たることができます。キリストの受難は、原罪の赦しの象徴だったと思います。
現実と別な、仮想世界のことですし、キリスト教的な意味には深入りしたくないのですが、「茨と十字を同時に引用した場合、罪、原罪の暗示と解釈するのは、わたしには自然」に思えます。Elysionで使われる情景や暗示を見ていくと、Revoさんはキリスト教的な暗示を好んで使う傾向があるように思えます。「茨」単独については、個人的には、「罪」より、「呪縛、束縛」の暗示と思っています。束縛するのは、胸に宿した呪われし約束であり、喪失への約束であり、恋人の記憶であり、自分自身です。
また、この歌の中では、「焔と色」は、一貫して「心」を暗示するために使われていると思います。束縛されるのは、自分の心です。
茨の力が焔の力に勝(まさ)った時、アローも、花も、そして世界も、色を喪失するのです。わたしの解釈では、月も十字も焔も茨も、一連のフレーズはぜんぶ象徴です。
もちろん、映像的にどの小道具を重ねるかは、また別の話になるのですが。
ゲスト投稿参加者(2005年05月10日 16時18分05秒)
永久さんの「茨」が「心の痛み」を表すという説、なるほどと思いました。歌詞中の言葉で置き換えるなら「哀しみ」が一番近いんだろうなと思います。
「捲きつける」については最後の最後にわざわざ持ってきた理由は、まさに「最期の矢」だったからだと思います。これから放つ矢が最期の矢であることを彼女はどうやら知っているようです。最期の矢なのだから一つ一つの動作を丁寧に追う、スローモーションみたいな感じで。僕はそういうイメージをしておりました。ボウガンには弓弦を巻きつける芯があるはずです。その芯に弓弦(=茨)が捲きつけられていく、そのことを「捲きつけて」と表現しているのではないかと。なぜ弓弦を茨に喩えるのかというと、哀しみがあるからです。
それと押韻の問題があります。これは技術的な意味ですごく重要だと思います。
Diskaさん、ありがとうございました。
十字架と茨の冠をキリスト教の原罪に結びつけて解釈するのは自然なことだろうというお話でした。その妥当性を僕も認めてはいるのですが、歌詞に罪悪感とか原罪への意識というものを示す言葉が他に何もないというところに注目しております。
永久さんもDiskaさんも「罪」というよりも他のことを暗示しているとお考えですよね。「罪」という印象はこの歌では薄いのではないかと指摘したかったのです。あと、これも大事なことだと思うのですが、歌詞を読む限り、連射とか速射を暗示する言葉は出てきておりません。「彼が死ぬまで何度でも放つ」と言っていますがそれは連射・速射を必ずしも意味しないのではないかと思います。
もちろん、聴き手のイメージが大切であると僕も思っております。
ゲスト投稿参加者(2005年05月05日 22時44分46秒)
上記、書き方が悪かったので訂正させていただきます。
『「茨」を「罪」「罪悪感」「罪の意識」という風に解釈して』と書きましたが、みなさん弓弦の比喩であると解釈なさっておいでです。その上で、さらに「罪」という属性を付加なさっている方がおられるという意味です。書き方が悪くて申し訳ありませんでした
ゲスト投稿参加者(2005年05月05日 23時58分15秒)
〝捲きつけて〟という表現に注目してみます。
ボウガンで矢を射るときに「捲く」と表現すると思いますが、「捲きつける」とも表現できるものなのでしょうか。
それに、「茨を捲きつける」のが、ボウガンの攻撃動作だったとしたら、何故一番最後にしか出てこないのでしょうか。銀色に輝く矢を放つ
何度でも 唯…彼が息絶えるまで・・・
とも表現されていますように、捲いたり引き絞ったりという表現は省かれています。
最後の最後に、わざわざその「捲く」動作を表現するのは少し引っかかります。茨は何か(感情でも罪でも)の比喩だと思いますから、比喩された何かを「捲きつけた」と考えた方がスッキリするような。
(ボウガンを捲くとか弓を引き絞るとかは無しで)私も彼女が彼を殺した罪悪感に囚われていたとは思いませんが、痛みは感じていたと思います。心の痛み。
茨は痛いというイメージがありますので、個人的にはその彼を殺したときの心の痛みを捲きつけた、のではないかなぁ、と思います。…まぁ、自分でも間違っていそうだと思いますけど(汗)
ゲスト投稿参加者(2005年05月05日 22時36分50秒)
僕はほとんどの方と同じでイメージで長弓派だったのですが、歌詞を読んで、検討を必要とする箇所に気づきました。1)
「茨を捲きつけて」
「捲く」という動詞についてです。
弓タイプの武器で「捲く」という動作が必要なものはボウガンタイプだけだと思います。
「引き絞る」という動作を比喩的に表現したものといえなくもないのですが・・・
これについて皆さんのご意見をお聞かせいただけないでしょうか?2)茨の意味
茨はやはり弓弦の比喩だと思いますが、この「茨」を「罪」「罪悪感」「罪の意識」という風に解釈しておられる方が何人かいらっしゃいます。
茨を辞書で調べたのですが、「困難」「苦難」という意味はありましたが、「罪」を意味するという記述はありませんでした。英語の辞書も調べて、「茨」が「苦難」などの意味でキリスト教(ヨハネによる福音書)に使われているという記述がありましたが、「罪」という意味は書いておりませんでした。
「罪」という意味合いが「茨」という語にあるのかどうか、お聞かせいただけないでしょうか。茨の問題は僕の歌解釈にとって重要です。
僕はあの歌の「彼女」は罪悪感や罪の意識に乏しいと思っているからです。歌詞を読む限り、確実に彼女の中に存在する感情は哀しみだけです。もちろん罪悪感はあるのかもしれません。ですが罪の意識は恋人を殺す時点ではあまり評価しなくてよい感情なのではないかと思うのです。
ゲスト投稿参加者(2005年04月27日 22時56分09秒)
>強弱 さん
引くタイプの弓だと、筋肉のいまいち美しくない女性像が浮かんでしまいますががが。
射るのが女性で、かつ(強弱さんの考察をお借りすれば)「十字」「螺旋」と、クロスボウの方が、何かと説明はつけやすい気はするんですけどね。決意から、彼を仕留めるまでの間は、文字通り「凛と」、強い意志を持って(感情も押し殺して)射続けたと、私も妄想してます。
>永久 さん
>もしも「私」を「彼」と置き換えるならば、歌詞では「恋人(あなた)」となっていますので、「私」の部分も違う表現になりそうな感じです。
この部分がちょっと良く解らないです、宜しければ追加でご説明頂けると、私がリアルで一人カラオケします。自殺をぱっと考えた時、思いつくのが「思考放棄による、敗者の逃亡」の意味での自殺と、この女性のように、「選んだ末の、言わば選択死」の意味と、二つが思いつきました。
私には、「彼がいないから死ぬ」と言う、それだけの理由は、一つだけで大きいが為に、この強い女性には役不足な気がします。勿論、愛の深さ故に!と言うこともあるでしょうし、この女性は、「恋人のいない世界に、何の意味があるって言うの?(何もないじゃない)」と考えているでしょうけど。
女性が、古の魔物と化した「彼」を無傷で倒すことは、「闇の衝動に抗えなかった」彼がいくらか抑えた所で、かなり難しいと思います。
なので、女性自身も、「血塗れ口付け」の下りで傷(深さはともかく)を負わされている、と考える方が自然な気がします。
「輪廻を貫いて」=「呪いの連鎖を終わらせる」と解釈する私は、自分ながらに「ハズレてるなー(笑)」とは思いますががが。生き残りについては、自殺説がメインになりつつはありますが、第三者が「最期の弓矢」を放った、と言う説も否定しきれるものではないですし、
生き残っている、と言うのはちょっと厳しい気がします。
ゲスト投稿参加者(2005年04月27日 23時42分44秒)
解りにくい書き方ですみませんでした(汗)ええと、歌詞では「恋人」と書いて「あなた」と歌っていますよね?
そう置き換えることをしているならば、もしも最期のアローで射ち落としたのが「彼」な場合
「私」という直な表現ではなく、「恋人」と書いて「わたし」と歌わせたり
そうじゃないにしろ、別の表現で「わたし」と歌わせようとしそうな感じがするな、ということです。……あー、また解りにくいかもしれませんが、いかがでしょうか?
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