私の場合、『ライラ・バールバッキー』という女流小説家さんが元ではないかと思っています。
所有している電子辞書で『ライラ』と検索したら出てきました。
内容には
「イスラム教徒の女子として閉鎖的な家庭で育った主人公が、
その束縛から抜け出ようとする努力と葛藤を描いた大著『私は生きている』で
一躍名が知られている。」と書かれています。
ここでイベリアのライラと照らし合わせると合うと思いませんか?
歌詞にも「家にはもう居たくない」とあるし、
イベリアの舞台はレコンキスタ、国土再征服運動ですよね。
異教徒は迫害される世の中で当事者であるライラは走った・・・
そして台詞には
「人として・・・死ぬことが赦されないとしても・・・それでも・・・私は・・・」
とあり、その台詞の後に
「・・・それでも・・・私は・・・『私は生きている』」
という風に考えました。w
ちょっと(いやかなり)こじつけですかねw
葬姫さんの説も好きです!
私が思うに、陛下が葬姫さんの言う「ライラとマジュヌーン」と
私の言う「私は生きている」を調合してるとしてもおかしくないかと!
長文失礼しました